板東龍汰の父親・坂東剛はワイナリー経営者!生き様から見る“破天荒すぎる”家庭環境

男性芸能人

いま話題の俳優・坂東龍汰さん。

その独特の感性や存在感の裏には、父親・坂東剛(たけし)さんの
“破天荒すぎる”人生と教育方針が
深く関係しているのをご存知でしょうか?

この記事では、坂東龍汰さんの父親にフォーカスして、
名前・職業・経歴・エピソードなどを徹底解説します!

 

坂東龍汰の父親のプロフィール

坂東龍汰の父親は、一体どんな方なのでしょうか?
まずはプロフィールを見て行きましょう

参照元:街かど調査部屋

  • 名前: 坂東 剛(ばんどう たけし)

  • 出身地: 奈良県

  • 国籍: 日本

  • 職業: 北海道・洞爺湖近くのワイナリー
    「仲洞爺バイオダイナミックファーム」代表

  • 過去の職歴: 歯科技工士、会社経営、映画監督志望
  • 経歴:
    19歳で映画監督を志してアメリカ・カリフォルニアへ渡航。

    その後、ニューヨークで歯科技工の会社を起業し成功させました

    現地で後述する陶芸家の女性(後の妻)と出会い結婚。

    長女と坂東龍汰さんの誕生後、「農業で自給自足の暮らしをしよう」
    と決意して1998年に帰国し北海道伊達市へ移住。

    以後は有機農法・バイオダイナミック農法を学び、
    洞爺湖のほとりに自ら開墾した畑で葡萄を栽培し、
    ワイン醸造に取り組んでいます

 

10代で単身渡米して会社を立ち上げたり、
家族で北海道に移住して自給自足の生活を始めたりと、
その生き方はまさに型破りですね!

 

坂東龍汰の父親は外国人?

坂東龍汰さんは米ニューヨーク市で生まれた帰国子女のため、
父親は外国人なのでは?」「ハーフでは?
と噂されることがあります。

 

しかし、坂東龍汰の父親・剛さんも母親も
日本生まれ・日本育ちの日本人です。

ご両親は仕事の都合で渡米していただけで、
国籍はお二人とも日本です。

坂東龍汰さんは出生時に日米二重国籍でしたが、
幼少期に帰国し日本で育ったため、
最終的には日本国籍を選択したと考えられます。

父親の坂東剛さんは奈良県出身の日本人ですが、
19歳で渡米して以来ニューヨークなどで長年活動していたため
英語も堪能です。

坂東龍汰さん自身も幼少期を米国で過ごし
英語が流暢であることからハーフと勘違いされましたが、
実際には純粋な日本人の家庭です!

 

坂東龍汰の父親エピソード

坂東龍汰さん自身が、
「家族はみんなやりたいことを追求する人たちで、
中でも父はとにかくヤバイ、破天荒!」

と語っています

一体どんな生活を送ってきたのか、
詳しく見ていきましょう

 

・自給自足生活と坂東龍汰の父親の“夢”

参照元:街かど調査部屋

坂東家が北海道に移住したのは、
坂東剛さんの「自然と生きる」夢を実現するため。

プレハブ小屋に3年暮らしたのち、父・坂東剛さんは
一人で2階建ての家を建て上げたという驚きのエピソードも。

 

さらに野菜を育て、鶏を絞め、薪を割るなど、
まさに“生きる力”を体現する暮らし。

坂東さんもその中で命の大切さを肌で学びました。

子どものころから畑仕事や薪割りを手伝い、
生活のすべてが学びとなるような環境で育ったことが、

彼の自然体で芯のある人間性につながっているのかもしれません。

 

坂東龍汰の父親・剛さんは現在もブドウの栽培やワイン造りに
情熱を注いでおり、

その姿勢からは「人生を自分で切り拓く」
大切さを教えてくれます。

 

・坂東龍汰の父親の教育方針!シュタイナー教育

坂東家の教育方針であるシュタイナー教育
それは一体どのような教育法なのでしょうか?

 

ご両親の教育方針で、坂東龍汰さんは北海道にある
シュタイナー学校「いずみの学校」で
幼稚園から高校まで通学しました。

シュタイナー教育とはオーストリア生まれの
思想家ルドルフ・シュタイナーの理念に基づく教育法で、

子供一人ひとりの個性や芸術性を伸ばすことを重視する
ユニークな教育です。

そのため学校には教科書もテストもなく、
電子機器(テレビ・ゲーム・スマホなど)の使用も
禁止されていました。

坂東さんの家庭でもこの方針が徹底され、
幼少期はテレビのない生活だったそうです。

 

こうした環境で育った坂東さんは、
学校のカリキュラムで演劇や絵画、写真など
幅広い芸術活動に触れました。

全校生徒100人足らずの小さなコミュニティで、
自分で考え自由に行動することを学び、
人一倍好奇心旺盛で多趣味な性格に育ったといいます。

 

坂東さん本人も
狭いコミュニティで生きていたからか、
人との距離感がバグってしまった(笑)

と語るほど自由奔放に育ち、
新しく出会う人や未知のものごとにも
興味津々な性格になったと自己分析しています。

この自由な教育環境と芸術家の家庭で育った経験が、
坂東さんの豊かな感性と個性的な俳優としての魅力に
大きく貢献しているようです。

 

坂東龍汰の父親が与えた影響とは?

参照元:テレ東プラス

そんな家庭で育った坂東龍汰さんですが、
様々なところに父親・剛さんの影響が伺えます。

坂東龍汰さん自身、
自らの多趣味ぶりや好奇心旺盛な性格について
父親譲りかもしれない

と話すことがあります。

また、写真好きでカメラを常に持ち歩く点などは、
写真好きだったお父様の影響とも言えるでしょう。

 

特に俳優という進路を選ぶ上での原点には、

シュタイナー教育での演劇体験と
家族の存在がありました。

父親・剛さんは映画が大好きで
毎週末に1本、映画のビデオを見せてくれたそうです。

坂東龍汰さんはその
週末の映画鑑賞がとても楽しみだったとか。

また、坂東龍汰さんが
シュタイナーの学校での演劇の授業が俳優になったきっかけ
と述べているように

小学生で演劇の楽しさに目覚めて、
高校の卒業公演でも主演を務め、
本格的に俳優を志すようになりました。

 

子どもの頃から夢が俳優だったんですね!

 

坂東龍汰の父親と俳優について

坂東龍汰さんが俳優を目指すことについて、
父親・剛さんはどのように思っていたのでしょうか?

 

坂東龍汰の父親・剛さんは
息子が上京して役者を目指す際に
厳しくも愛のある言葉を投げかけています。

それは

東京に行っても役者になんかなれない。
でかい壁にぶち当たって粉々になって、
お前も畑を耕すんだ!

というものです。

 

この衝撃的なセリフは坂東さんの心に強く残り、
絶対俳優になってやる!」という闘志を燃やす
原動力になったそうです。

父親なりに俳優業の厳しさを伝えると同時に、
あえてハッパをかけて息子を奮起させたのでしょう。

その言葉通り、坂東龍汰さんは猛勉強の末に上京資金を貯め、
見事俳優デビューを果たしました。

その5年後には日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞し、
父親のかつての夢であった映画の世界で
大きな成果を挙げています。

坂東さんが新人賞を受賞した際、
父親は「自分の反面教師の成果だ」と
冗談めかしてコメントしたそうですが、

それは裏を返せば息子の成功を誇りに思っている
ことの表れでしょう。

 

実際、父親のFacebookには坂東さんの
映画出演情報をシェアしたり

ツーショット写真を載せたりする投稿もあり、
親子仲の良さが伝わってきます。

 

まとめ

坂東龍汰さんの魅力は、自由な発想と力強い個性。

その根底には、映画・アート・自然・農業という
多様な世界で生きてきた父・坂東剛さんの生き様と教育がありました

単なる「芸能一家」では語れない、リアルで濃厚な家庭環境。

その中から生まれた坂東龍汰さんが、これからどんな俳優へと成長していくのか。

今後も目が離せません!

error: Content is protected !!
PAGE TOP